動画「自炊おじさんのおしゃべり皿洗い」

こんばんは。水蕗です。お久しぶりです。最近忙しく、土日も仕事をしていたために更新が滞っておりました。

最近、食事回数を減らしたせいで、洗い物がすぐ片付いてしまうということもあるのですが、意識が高くなってそもそも洗い物を溜めることがなくなったので、動画の録りためが無くなってきております。そのせいで、また、スタイルが変わるかもしれません。

さて、それでは今回もハイボール片手にお付き合いくださいませ。

引きこもっちゃうと危ないというお話

昨今、コロナ禍を受けて、IT業界ではテレワークが当たり前になってきました。さすがに1ヶ月全部テレワークというところは少ないでしょうが、半々などで実施しているところは多いのではないでしょうか?

かくいう私もそういった勤務形態で働かせていただいております。

ここで問題になってくるのは、独身の自炊おじさんは、下手すると2週間、誰とも合わないどころか、外に一歩も出ないということも起きてしまうわけです。

私の場合、引きこもることは全然苦ではないですし、自宅で筋トレもできるので、それであまり問題ないと思っていました。実際、しばらくはそれでうまくやっていけました。

それでは一体何が問題なのかというと、自宅という文明の檻にいると、虚しくなってくるのです。

「諸行無常」という言葉があります。これは「世の中は移り変わっていくものであり、一つとしてとどまるものはない」ということだと理解しているのですが、引きこもっていると、この諸行無常よりも「諸法無我」が意味する「形あるものはすべて壊れる」というのを強く感じてしまうのです。

考えてもみてください。一人、家の中にいると、壊れたり無くなったりしていくものばかりです。

電球は切れるし、トイレットペーパーは無くなるし、食料が尽きたら補充しなくてはいけないのです。モノしかないから、壊れていく様子ばかりが目についてしまうのです。モノは成長なんてしません。

これが、公園に行ったらどうでしょうか?

まず、季節を感じます。巡りゆく季節を感じます。どこに感じるのかというと、空気の匂いであったり、木々の様子であったり、日差しであったりします。消えてゆくのではなく、巡っていくものを感じることができます。

それから、人がいます。老人が散歩しているかと思えば、子連れの家族がいたりします。顔も知らない他人なので、世代が変わっていく様を客観的に見ることができます。

そうこうしているうちに日が傾き始めて、また風が変わっていきます。そこで思うわけです。「世界はなんて美しいのだろう」と。

こういう感性に気づかせてくれるという面では引きこもりも悪くはないのかもしれません。でも、一人、白い部屋で壊れゆくモノに囲まれながら、壊れゆく自分の未来を思うのは、精神衛生上大変よろしくないので、せめて天気の良いときは公園に散歩に出かけましょう。

温かい飲み物を水筒に詰めて、外のベンチで読書をするのもなかなかおつなものです。やったことはありませんけれど。

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